おさかなジョーの回遊記

旅行計画や旅行記など、旅関連の事柄が書いてあります。

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 アンマンの日本人宿で会った人に、パルミラの話を聞いた。

 バスに乗ってパルミラを目指していたら、砂漠の中に遺跡が見えてきた。「スゲェ!」と思って喜んで、バスを降りた。いざ遺跡へ! しかし、遺跡は、バスから見えたものだけ。ただそこを歩いただけだった。 彼の話は、そんなだった。

 バスの窓からパルミラ遺跡を見ながら、彼の話を思い出していた。下車し、歩いてみる。ホント、そんなところだった。
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 今回の旅行計画。バンコクで一泊して、その後1週間をかけ、カンボジアのアンコール・ワット、タイのスリン、ラオス、ベトナムのフエと行き、戻ってくる予定でした。そして、バンコクで2泊して帰国。バンコクでのアパートは予約済みです。しかし、今日、予定を変更しました。というのは、体調がすぐれないから。血便です。そのため、一昨日は病院へ行ってきました。体調が良くないのに、上記の旅程は厳しすぎます。そのため、急遽、ネットでバンコクのアパートメントを一週間分、予約申請しました。旅行は、どうしても行きたいので行きます。しかし、無理は禁物。バンコクなら、体調が良ければ、そこを起点に小旅行ができます。悪くなれば、病院があるので対応できます。まだ、回答をもらっていないので、アパートを予約できたかどうかわからないのですが、都市滞在の旅行になりそうです。
 ゆとりがなくて、記事が書けません。

 また、放置します。

 来年、戻ってくると思います。
 不適切な記事を消去しました。以下、その詳細です。

 日曜日、ブログのアクセス解析をしてみました。解析結果を見ていると、目を引くものがあります。サーチワードで、“コカ茶、税関”とあります。誰かが“コカ茶、税関”で検索した結果、僕のブログへたどり着いているのです。目を引いたのは、その検索回数が多いことでした。気になったので、“コカ茶、税関”とググッてみます。すると、3ページ目のトップに僕のブログが表示されました。ブログの記事を読んでみます。ペールー・ボリビアを旅行した時の記事でした。コカ茶についての記事です。内容は、こう。↓

 コカ茶のティーパックを山ほど買ったけれど、荷物になるので人にあげた。その中に日本人女性もいる。旅を続けている中、ふと思う。コカ茶は税関で引っかからないだろうか? もしや彼女に迷惑をかけているのではあるまいか? しかし、杞憂であった。メールで彼女から“無事帰国し、今はコカ茶を楽しんでいます。”とあったからだ。

 記事を読みながら、懐かしさを覚えます。それと同時に、「しまった、ヤバイ。」と焦ります。というのは、自分のブログにたどり着く前、こんな記事を目にしてしまっていたからです。それは、大麻取締法被害者センターが出している記事で - コカ茶に注意 - です。以下、内容を抜粋して掲載します。↓

 世界旅行中にボリビアの市場でコカ茶を買った若者がいた。飲みきれなかったので、それを他の荷物と一緒にまとめ日本に送った。荷物は税関で引っ掛かり、結果、送り主不在の自宅に家宅捜索が入った。それを知った若者は、旅を中断し帰国したが、入国手続きで別室へ連れていかれ、麻薬の密輸容疑で逮捕された。その時、彼はボリビアで土産として買った人形を持っていた。それには、コカ茶の入った小袋が付いていて、これも禁制品だった。。 
 コカ茶は、ボリビアやペルーなどでは日常的に飲まれている飲料だが、日本に送ったりすると大変なことになる。麻薬密輸で逮捕される。若者がこのあとどのような処遇を受けることになるのか不明だが、その方面へ出かける人は、注意する必要がある。



 知りませんでした。僕がお茶をあげた人が捕まらなくてよかったです。全部、人にあげていてよかったです。彼女以外は全て地元の人にあげたので、迷惑をかける惧れはありません。知らぬ事とはいえ、人生がダメになるところでした。。
 即、ブログの記事を消去しました。
 トリカゴ放送というポッドキャストを聞いています。聞いていると、旅行気分が味わえて、いい感じです。

 http://www.tkago.net/blog/
 棚の前に立つ。書店の中、照明は明るすぎるくらいだ。棚の前に、二人して立つ。伸びてゆくのは、同僚の手。それは、抜き出した本の頁を捲る。そして、差し出してくる。見ると、文字が書いてある。何行にもわたり書いてある。読んでみる。ドカンとした。僕はクラクラしながらも、どこかシャンとする。その通りだった。書いてある通りだ。自分の感受性くらい。。そう。自分の感受性くらい、自分で面倒をみなくっちゃ。

 茨木のり子、すごい人だと思った。
書き途中の記事がたくさんあります。下書きの状態であります。書きかけのものや、タイトルだけのものなどがあるのですが、久しぶりに見てみると、何について書きたかったのか分からなくなっているものがありました。記事を書きかけた当時は、書きたいことがあったのだろうから、それを忘れてしまったのは非常にもったいないです。キッカケがあれば思い出せるものも、それが無ければ思い出せません。何を書きたかったにせよ、ずっと思い出さないままになってしまうものもあるでしょう。
 来春に予定している韓国旅行。4泊5日なので、移動日に2日とられます。実質、3日しか観光できません。初日は、夕方、羽田から関空経由で韓国へ行くため、ソウルでは夕食くらいが関の山。翌日は、キョンジュに移動するので、そこでも移動に時間がとられます。3・4日目は、観光に専念できるのですが、4日目の夕方にはソウルへ向かわなければなりません。5日目の早朝に空港へ向かわなくてはならないからです。なにか、慌ただしい旅行になりそうです。充分楽しめるように、これから、ゆっくり計画を立てていきます。
 “来るものは拒まず、去るものを追わず”が、僕のスタンスです。これは、今も変わっていないのですが、これで痛い思いをしたことがあります。それは、僕がまだタイに行きたての頃の話です。
 
 ター(日本人、ターは彼のニックネーム)とはバンコクで遇い、そのまま友人になりました。彼は僕よりずっと本格的なパッカー旅行をしていたので、親近感と共に憧れをを持ちました。アフリカを二度も長期旅行をしています。それ以外にもスイスの農場で2シーズン働いたりと、僕がいつかやってみたいと思っていた人生を送っています。だからなのか、直ぐ意気投合しました。帰国してからも友人関係が続き、携帯でしょっちゅう連絡を取り合っていました。彼はバンコクで会った友人であるため、共通の知り合いが日本ではいません。だから、自分の事を話しても、そこからどうこうなるということがありません。愚痴が相手に伝わるとか、そういったことを心配しなくてもよいのです。そういう気安さがあったからなのかもしれません。僕は自分のことを話し過ぎました。そして、信用し過ぎました。バンコクで彼女を紹介してしまいました。そこからトラブルが発生し、それは解決されたのですが、違う問題が生まれました。僕の弱さが大いに露呈し、生涯の傷を得たような気持ちになりました。

 あの時の何に後悔しているのか自分でも明確には捉え切れていないのですが、後悔があります。毎日、何らかの形で様々を思い出しています。今もそういう状態が続いていること。そして、それが断ち切れないこと。そういう状態に自分を置いていること。そういった諸々のことに大きな後悔を覚えます。
星を眺めにフォートまで出た。
頭上には星が瞬きはじめ、眼下には果てしない水が波打つ。
かつて多くの異国船を迎えた海は、今は静かだ。
街の外れ、民家とモスクと灯台と、海の鼓動と風のうなりの中、ただアザーンの響きだけがあった。

日が落ちて間もない。
太陽の欠片たちは、踊り終える寸前だ。
辺りを浮かび上がらせているが、ゆっくりと消えていく。
夕闇は押し寄せてくるが、家々はその中に沈んではいない。
空の赤は彼方に引いてゆき、青も色を失っていく。
直に空と宙がつながるだろう。
そして、月と星たちの時間が始まる。
灯台は、まだ活動していない。

いつしかアザーンは終わっていた。
男の影が浮かび上がり、近づいてくる。
僕は誘われ、フォートの塀に腰を下ろす。
男は、コイン売りだった。
旅人の心は、平和を尊ぶ心に通じると思う。


いろいろな土地を歩いた。
いろいろな人と話した。
いろいろな思いをした。
東西南北、喜怒哀楽
僕は燃え尽き、燃えさかり
殻が破けて、砕け散る。
気がつくと、人になっていた。

「君は何をする人?」と問われたら、
「旅する人」 そう答えようと思う。

どんな場所でも、どんな環境にある人でも、
みんな、それぞれの人生を生きている。
一日一日、暮らしている。
特別なことなんて、そう、なにもない。
僕と同じ。
みんな同じ。
人を愛し愛されて、欲に苦しみ、ものを食べ、
なんだかんだで、なんだかんだで、  、、、呼吸をしている。
いつか、どこかのポッドキャストで誰かが言っていた↓。
どこだって変わらない。
みんな、普通に生活している。
そうした人の営みの広がりが世界である、と。

同感。
その後を引き取ろう。
続けてみる。

日々繰り返される人の営みの広がりこそが世界であり、
その積み重ねが歴史である。
そして、その広がりや積み重ねに僕らは連なっている。
僕らもそこに属している。
まさに、その一部なのである。

そういったことを、いつしか僕は知っていた。
この誰だって知っていることを、改めて知ったとき、
何故、多くの旅人が平和について口にするのかを理解した。
アメリカン・エアラインのマイレージ・プログラムで貯めたマイルの有効期限が、あと少しできれてしまいます。 だから、今日、特典旅行の予約をいれました。羽田発でソウルへ。帰りは、成田。時期は、来年の3月。行けなかったら、時期を変更します。とりあえずの予約です。これでマイルを無駄にせずにすみました。
  南アジアで最大の牙を持つ象がいた。
 スリランカの森の中、その象はもういない。
 

 乾いた銃声が響き渡る夜、僕はジャングルにいた。
 「あれは、密猟。」とエランダが教えてくれる。
 そう言う彼の顔が、顔が、なんともいえなかった。その表情は固い。
 その彼が、ある兵士の話を語った。
 夏の強い日差しを避けて、ジャングルと隣接する田圃の大きな木立の陰でくつろいでいた時、彼は語り、問いかけてきた。


 スリランカの森の中には、兵士がつめている小屋がある。
 その小屋の前には、踏み切りのような棒がわたしてあり、車の往来が自由にできない。
 国立公園だからなのだろう。森の中に行くには、彼らの許可がいる。
 だから、僕らは彼らの許可を得て、森の奥へ動物を見に何度もその前を通った。
 エランダの話は、たぶん、そんな彼らのメンバーに起きた事だと思う。

 彼の話は、こうだ。
 森の中で一人の兵士が、象に出くわした。
 そして、その象を撃ち殺してしまった。
 彼の仕事は動物を守ることなのに。。
 その殺された象は、大きな牙を持っていた。

 彼は話し終わると聞いてきた。
 「どう思う?」
 僕は黙っていた。
 すると、彼は続けた。
 「怖かったんだよ、象が。。 いきなりで気が動転したんだ。 それで、撃ってしまった。仕方がないことだったのだと思う。僕でもそうしたと思うよ。」
 そう、誰だってそうする。
 そう思った。
 だから、僕は同意の相槌を打ち、話はそこで終わった。
 
 あの兵士は、どうなったのだろう?
 処罰されたのだろうか?
 兵士が象を撃った時は、いつだったのだろう?
 撃った場所は、どこだったのだろう?
 それを僕は知らない。
 なんとなく夜、小屋の前で森から出てくる象が、驚いた兵士に撃たれてしまうといったイメージを持っているだけだ。
 でも、夜だったのか昼だったのか知らない。
 小屋の前だったのか、森の中だったのか知らない。
 エランダが話してくれたこと以上を知らない。
 ただ、イメージだけがそうなっている。

 帰国してから、僕は詳細が知りたくなった。
 その兵士は、どうなったのだろうか?
 気になっている。
 パスポートの更新をしました。有効期限が1年以上残っていたのですが、パスポートをICにするということでの更新です。

 新しいパスポートを手にして思うのは、その厚み。気になってしかたがありません。以前のパスポートの方が好感が持てます。。 たぶん、使っているうちに慣れるので、愛着がわくまで、ちょっとの我慢です。
 沈む太陽を見に、フォートに行った。明日、ゴールを発つ。これが最後の日没だ。それともここに戻ってくることがあるのだろうか? 地球の回転は変わりなく、今日も海に太陽が沈んでいく。いつもの繰り返しが起きただけ。感傷に浸りながら、それを確認した。やはり日没は美しい。

 太陽が沈んでも、辺りは明るい。しかし、少しずつ暗くなっていく。灯台は、まだ灯を点していない。そんな時、アザーンが聞こえてきた。誘われるように、モスクへ足が向く。ムスリムがモスクに集まってきていた。これから祈りの時間が始まる。薄明かりの中、モスクは輝いて見える。しかし、異教徒の僕は、入れない。その時、1人の老人が手招きをした。彼に近づいていく。アッサラーム・アライクム。挨拶をする。
 どこから来たのか? どこへ行くのか? 問いに答え、老人と簡単な会話をする。時間なのだろう。老人はモスクの中に向かう。老人に連れられ、僕もモスク内に向かう。いいのだろうか? モスク内で、老人は他のムスリムに僕の事を話している。何を話しているか分からないが見当はつく。僕がモスク内に留まれるよう話しているのだ。その結果、僕は、モスク内に留まれることになった。
 伽藍の入り口。そこまでだった、僕が入れるのは。そこで祈りが終わるのを待つ。メッカの方角を眺めながらう、ただただ待つ。祈りの時間が終わると、多くのムスリムが出てきた。老人も一緒だ。彼らと僕は合流した。老人は僕にコーランの話しをする。途中、若いムスリムが気を利かせて、英語で書かれたコーランの一説を持ってくる。コーラン。彼らが大切にする言葉。そういったものの話を聞く。ゴール最後の夜は、そうやって僕を祝福した。

 モスクから出る時、とっぷりと日が暮れていた。
 友人が、来週から夏休みをとる。カップルで、サムイ、バンコクを訪れる。

 タイの話が聞きたいからということで、昨夜、友人と新宿のマンゴツリーで、タイ料理を食べながら、彼らに付き合った。話は楽しかったのだが、料理がイマイチだった。タイ料理じゃない感じ。タイ風な料理。友人も同感だったようで、ビックリしていた。バンコク店では、こんな料理を出していないのに。。
 コロンボに着いたのは、21:00をまわっていた。バッティカロアからコロンボまで、バスで9時間。道が良いとは言えないスリランカ。バスに揺られ、8つのセキュリティー・ポイントを通過した身は、ヘロヘロだった。
 宿を探して、ペター(下町)を歩く。行き先は、『地球の歩き方』に載っている宿。街は、店じまいしたところがほとんどで、嘘のように閑散としていた。そんな中、目当ての宿に部屋をとり、食事に出かけた。しかし、開いているお店がほとんどない。結局、宿の下でやっている食堂でご飯を食べることにした。
 食堂は閉まりかけていた。それでもかまわず入っていき注文した。すると、こう聞かれた。「持ち帰り?」 と。持ち帰るつもりがなかったので、「ここで食べる。」 と答えた。 食堂は、既に閉店の準備に入っていたが、食事している人が1人いたので、ここで食べてもかまわないと思った。なので、そう答えた。
 食事が出てくると、店の主人が言う。「早く食べろ、早く。」 何度もそう言う。閉店時間が、とうに過ぎているのだろう。だから必死に食べる。それでも、「早くしろ。」 と言う。言いながら、「本来なら、店を閉めている時に客を入れない。しかし、それじゃあんまりだから、人助けをした。しかし、もう閉まっていないといけない時間だ。だから、早く食べろ。」 と言いつのる。急かす様に可笑しさを感じながら、店主の顔を見ると、「こんな時間だ。大問題だ。」 と真顔で言う。そう、きっとここでは大問題なのだろう。そんな気がした。
 今日一日、家で休養していました。普通、旅から帰ってくるとリフレッシュしているのに、いつになく疲れています。ちょっと熱もあるし、元気ないです。

 スリランカから帰ってきて、なんかもうボロボロです。向こうで、ケチったため(仕方がないのだけれど)、隙間だらけで蚊が自由に出入りするような場所に泊まっていました。マラリアだとかデング熱に気を付けなくていけないのに。。で、たくさん刺されてきました。蚊対策として、服を着たまま寝ていたので、体幹は無事。しかし、手足や顔はやられました。瞼をやられたときは、変な顔になってしまい、悲しい思いも。。 まあ、そんなことは済んでしまったからいいのだけれど、問題は、帰国後です。アルガム・ベイで踝の下のところを蚊に刺されたところが、問題です。掻きこわし、膿ませてしまいました。しかし、「自然に治るだろう。」と放置していたのが、いけません。ズキズキ痛みます。結局、早退して、医師に診てもらいました。それが、火曜日。多くの医院が休みを取る中、やっている場所を見つけて行ってきました。

 今、抗生剤の入った塗り薬を患部に塗り、抗生物質と胃薬を飲んでいます。というのも、化膿した部分が、わりと酷くて、そうなりました。
 「楽しんでいる?」とよく聞かれる。
 「楽しんでる。」と答える。
 そういうことが、何度もある。きっと、僕の表情は、乏しく映るのだろう。自分の感情が、あまり顔に出ない性質なのだと思う。努めて、表情に出せればいいのだけれど、そういうのは、大げさなことをしているような気分になり、疲れてしまう。だからといって、人に気を使わせてしまうのは良くない。
 今回の旅でも、何度も、「楽しんでいる?」と聞かれた。

 スーラ(仮名)は、ゴールにあるリゾートホテル専属のスリーウィラーの運転士だ。ホテルのオーナーの勧めで、一日、スリーウィラーであちこち回ることにした。その時の運転手が彼だった。彼とは、観光やアンティーク・ショップ巡りに付き合ってもらった。その時も、何度も、「楽しんでいる?」と聞かれた。

 「楽しんでいる?」
 「楽しんでる。いつも、こんな感じだから、気にしないでね。これで充分、楽しんでいるんだから。僕は、いつもこうなんだよ。」
 「楽しんでいる?」
 「大丈夫。僕のペースで楽しんでいるから。」

 こんな会話をしながら、旅は進む。別に不機嫌なわけでもないので、時間が経つにつれて、“僕がそうなんだ、別に気にすることないんだ。僕なりに楽しんでいるんだ。”ということがわかってもらえる。それにつれて、向こうもこちらも楽になっていく。今回も、そんな風だった。
 初めの頃は、お互い、気を使っていたけれど、そのうち、すっかり打ち解けて、お昼は彼が薦めてくれたローカルなレストランで一緒に食事をした。午後は、アンティークショップでオールド・コインを見て回った。オランダ統治時代のコインが欲しくて、いくつもの店に足を運ぶのだが、目当てのコインはない。あっても、あからさまなフェイクだったりする。結局、欲しいコインは見つからずじまいだったけれど、店の人と話すことができて、楽しかった。彼も、それがわかったのだろう。その頃には、「楽しんでいる?」とは、聞かなかった。

 その夜、デジカメの写真を確認すると、笑っている写真が少なかった。ipod の中にある僕の写真も同様で、やっぱり笑っている写真が少なかった。我ながら、そんな自分に、ちょっと、がっかりした。
 ユナイテッド・プラスのマイル有効期限が来年の1月で切れてしまうので、昨日、マイルを使用しました。これで、有効期限が1年半、延びました。行き先は、バンコク。3泊4日してきます。バンコク行きは、まだ先の話なので、これから、ゆっくり計画を立てていきたいと思っています。

 エア・カナダのアエロ・プランの特典旅行で、バンコク往復をしたことがあります。この時は、電話で予約を入れました。マイルの使用は、今回が二回目。サイトから予約を入れました。簡単な手続きで済んだので、快適でした。
 トリンコマリーで会ったルシャン一家。非常にお世話になった。漁に連れて行ってもらい、食事をご馳走になった。彼らのことを思い出す時、乾燥した空気と、焼きつくすかのような太陽、広がる海、砂浜、そういうものが思い出される。

 スマトラ島沖の地震は津波を生み、それが各地を襲った。その中に、トリンコマリーも含まれる。その報に接した時、いつか再びスリランカへ行こうと決めた。トリンコマリーへ行こうと。一家が気になる。それに、トリンコマリーがどうなっているか知りたかった。今回の旅では、それが果たされなかった。現地の治安に問題があったから。そのため、ニゴンボへ向かう。確か、そこに彼らの家があるはずだ。ルシャン一家は、魚を追って暮らしているため、各地を転々としている。トリンコマリーでは、浜辺に椰子の葉を編んで作った家に住んでいた。しかし、ニゴンボではブロックで作った家がある。そう聞いた。で、ニゴンボへ向かった。
 ニゴンボは観光地だった。国際空港に近く、海岸沿いにホテルが幾つも並んでいる。観光地であると同時に、漁村でもあった。多くの船が漁をしている。
 自転車を借りて、漁村へ入った。漁村では、多くの人が働いている。浜にはゴザみたいのが広げられ、魚を天日干ししている。大きさ別に別けられて干されている。中には、ヒラキにされて干されているものもある。近くに、魚の骨を粉末にする家があった。それぞれの場所をブラブラと歩き回った。そういうものを見て回るだけで楽しい。そんなことをしているうちに、民家が連なっているところへ出た。住民から声を掛けられる。そこで訊いてみた。「ルシャンって人を探しているんだけれど。」 すると、「どのルシャンだい? 写真はないの?」 写真はありません。プリントアウトして持ってこなかったのが悔やまれる。。 結局、彼の家族には行き当たらなかった。
 カタラガマからモナラガラへのバスの中、僕の気分は最悪だった。サファリでの出来事が頭から離れなかった。今まで旅をしていて、いろいろなことに出会ったことがあったが、これほどのことはなかった。裏切られた気持ちで、いっぱいだった。考えれば考えるほど落ち込み、具合が悪くなってくる。盗まれた額が額だっただけに、今後の旅に不安を感じた。そんな中、車中、若い兄弟に出会った。

 バスの中で視線を感じ振り向くと、兄弟が座っていた。その兄のほうと目があった。
 「どこへいくの? 僕は、アルガム・ベイなんだけれど。」 そう言うと、「僕らもだよ!」と返ってきた。そこで、お互い、簡単な自己紹介をした。兄弟は歳若く、兄が22歳、弟が17歳だった。兄は、スリーウィラーの運転士をしていたが、それを止め、アルガム・ベイまで職を探しに行くのだという。職があるかどうかは不明だが、以前、そこで働いていたことがあり、心当たりがあるらしい。弟の方は、英語を話すことができないため、会話することができなかった。緊張した面持ちで、僕と目も合わせない。きっと、これからのことに不安を感じているのだろう。そんな気がした。
 僕らの会話は、5分もなかったと思う。短いものだった。揺れるバスの中、悪路を身体で感じながら、「ジャングルの湿った空気が、いつ、東海岸の乾燥した暑さに変わるのだろうか?」なんてことを考えていた。

 バスは、モナラガラに着いた。兄弟に導かれて、アルガム・ベイ行きのバスに乗る。発車まで時間がある。兄弟はバスに留まらず、どこかへ行ってしまった。僕も彼らにならって外に出て、時間つぶしがてらに、ランブータンを一袋、買った。値段は20ルピー。日本円で20円ぐらい。それで、10個くらい入っている。「あの兄弟と分け合おう。」 そう思って買った。
 バスの発車時間だ。なのに、彼らは戻ってこない。車中には彼らの荷物があるのに、バスは発車しようとする。他の乗客とともにバスの運転士を止めていると、慌てて彼らが帰ってきた。食事をして遅れてしまったようだ。しかし、なんとか間に合った。ホントによかった。彼らとランブータンを分け合って食べる。
 走るバスの中、僕は、いつしか寝ていた。ハッと目覚め、兄弟を振り返ると、彼らも寝ていた。椅子に座って前屈みに寝ている弟の方を向いて、兄が寄りかかるように寝ている。すごく微笑ましい。それを見て、僕は急に、家族に会いたくなってしまった。
 空気は、いつしか乾燥して、僕は灼熱感に悩まされるようになった。もう東海岸なのだろう。それは、気候からだけでなく、道や橋に銃を持った軍人がいることからも感じられた。東海岸はLTTE問題で緊張が高まっている。外務省からは、テロ事件に対する注意喚起がなされている。実際に、首都コロンボでは爆弾の爆発なんてことも起きているし、東海岸の地域によっては問題があるとのことを聞いていたので、ここで何かが起きてもおかしくない。 セキュリティ・ポイントで荷物チェックを受けている時、そう感じた。
 そのチェックの時、兄弟の持っているリュックの中身が見えた。それぞれ、服が一揃い入っているだけだった。それが彼らの持ってきたもののすべて。それを持って、彼らはアルガム・ベイに行くのだ。
 アルガム・ベイに着いた時、ビーチまで僕らはスリーウィラーをシェアした。本当は歩いて行きたかったのだけれども、彼らが乗るというので、一緒に行くことにした。150ルピー。その内、僕は100ルピーを出した。 ビーチに着くと、彼らは、僕のための宿を探してくれた。そこは、木の上に作ったバンガローで、一泊600ルピー。どこか冒険心をそそる佇まいだ。僕はすっかり魅せられてしまった。他の宿の内容と比べることなく、そこに泊まることにした。その後、彼らは、ホテルやゲストハウスでの職を探しに、僕と別れて、ビーチを歩いて行った。僕は、それを木の上の部屋から眺めていた。
 彼らを見送ると、僕は、所持金を確認した。そうしたら、ニランガが更に盗んでいることがわかり、すっかり打ちのめされてしまった。ここまでくると、声も出ない。しかし、いつまでも憂鬱な気分ではいられない。シャワーを浴び、洗濯をした。すると、少しだけ気分がよくなった。それでも、動き回る気がせず、ベッドにひっくり返っていたら、外から声を掛けてくる人がいる。見ると、あの兄弟だった。部屋の中と外、大声を張り上げて話すのもなんなので、部屋に上がってもらった。話をすると、彼らは職が見当たらなかったので、バッドゥーラに行って職を探すという。今日はバッドゥーラまで行って、おじさんの家に泊めてもらい、明日から、そこを拠点に職探しをするつもりだという。カタラガマからアルガム・ベイに来るだけでも大変なのに、ここからバッドゥーラに行くなんて、過酷で無謀に思えた。一日ですることでないように思えた。だから、僕は、自分の部屋に泊まることを勧めた。「休んでいった方がいい。部屋に人を泊めちゃいけないのだろうけれど、どうせバレやしない。バレなきゃ問題ない。」そう考えて。でも、そういう余裕も彼らには、ないのだろう。これから直ぐ発つと言う。それなら早く発たせて、早く到着させないといけない。しかし、外は炎天下。この中を彼らは歩きまわっていたのだ。そして、また、外に出て行くのだ。ここで職が見つからなかった以上、無駄遣いはできない。財布の紐は固くなるだろう。今度は、バス停までの道のりに、スリーウィラーを利用しないと思った。僕は、彼らをそのまま行かせたくなかった。だから、レストランに一緒に行って、コーラを飲もうと誘った。お金を盗まれたといっても、日本に帰れるだけのお金は十分にある。ただ、お金を使いたくなくなってしまっただけなので、コーラを奢るくらいなんでもなかった。さっき、スリーウィラーの代金を彼らにも払わせてしまったことに、急に罪悪感を感じた。僕は、彼らが職探しをしているのを知っていた。弟は17歳。まだ、子どもだ。兄だって、同じようなものだ。それなのに、僕は自分の不幸に気を奪われて、彼らのことを見ていなかった。そのことに、すまない気持ちになっていた。
 彼らは、僕と一緒にコーラを飲んだ。そして、その後、礼を言って立ち去っていった。彼らが礼を言った時、弟と初めて目が合った。緊張した表情が、少しだけ柔らかくなっていた。



 10日ほど前のことだというのに、もう、彼らの名前を忘れてしまっている。ただ今は、彼らの緊張した表情とコーラを飲んだ後に見せてくれた表情、弟の幼さと兄の気遣い、兄が着ていたブルーのシャツ、そういったものを覚えている。彼らの写真を撮っていない。だから、それも、放っておいたら忘れてしまうだろう。忘れる前に、日記にすることができてよかった。
 彼らは、兄弟そろって働ける場所が見つかったのだろうか? それが気になってしかたがない。
 バッティカロアは、カシューナッツが安い。そう思った。250gくらいで、200ルピー。安いでしょ? そのナッツを、路傍の屋台でおばさんが売っている。僕は、小さい袋(50gくらい?)を買った。そして、出会った人たちと分け合って食べた。とても美味しかった。


 たくさん買って、お土産として持ち帰ればよかった。。
 今日の19時半、成田に着きました。今、家です。で、これから、洗濯物を干します。

 マレーシア・スリランカ旅行。前半のマレーシアは、快適で楽しかったです。後半のスリランカ、過酷でした。トラブルが発生し、泣きをみました。後日、日記にしていきたいと思います。

 今回、トリンコマリーには行けませんでした。バッティカロアまでは、行けたのですが。。で、仕方なく、ルシャン一家を探しに、ニゴンボまで行ったのですが、消息はつかめませんでした。

 今日は眠いので、寝ます。
 今回、旅行中に書いたブログは、あとで、もうちょっと書き足すことがあります。帰国後、順序どおりに、日記を書きません。忘れたくないことや、書きやすいことから書いていきます。公開後、しばらくしたら、記事を時系列に並べて、日記を完成させたいと思います。

 記事は、公開しても、書き足しや編集のし直しなどをしていき、僕にとって、愛着の持てる日記にしていこうと思っています。
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